fc2ブログ

【e-sports備忘録】あのときPUBG大会を開催することになった経緯

■一番最初の地獄のような思い出
皆さんこんにちわ。
私は 2017年の10月から2020年の12月まで約3年弱、会社で主催していたPUBG大会を運営管理をしていました。今回の記事は大会を開催することになった経緯などを簡単にまとめて、次回以降の記事を読むための予備知識にしたいとおもいます。なので思い出をアウトプットする感じです。








■e-sportsとの出会い
時は遡ること2010年、最先端右翼大学の3年生だった私の家にADSLではなく「光回線」が引かれます。そしてニコニコ動画の広告でみつけた「Counter-Strike:Online」というゲームに出会ってしまい結果的に8年間大学に行く羽目になります。恐らく海外ではその当時からe-sportsという言葉は存在していたと思いますが、国内ではまだ認知度の低い言葉で「eスポーツ元年」みたいな言葉もほとんど目にしたことはない時代でした。

すっかりCounter-Strikeの魅力にハマってしまった私は大学にもいかなくなり彼女にもフラれ、たまに生活費を稼ぐためにバイトする以外は1日中家に引き篭もってゲームをするというクズニートになります。丁度その時にプレイしていたCS1.6の大会配信をたくさん見るようになりこんな感情を抱くようになります。


「e-sportsってすげぇ!楽しい!かっけぇ!」


しかし大学を留年しているばかりか社会にも出たことすらない先鋭化されたニートはだんだんとこう思うようになります。


「なんで日本ではe-sportsが出来ないんだよ!どうなってんだよ?」


今考えるととっても恥ずかしいやつ以外の何者でもありませんが、社会に出たことがない故に想像力がないのでSNSなどでは目についたゲーム大会を「こんなもんはe-sportsなんかじゃない!」とドヤ顔で批判するクソ野郎になっていました。本当に恥ずかしい。


■日本におけるe-sportsの現実を知ることになる
そんなクズに2015年ある転機が訪れます。一緒にCSGOをしていた人に誘われてゲーム会社で社会人デビューすることになります。そのゲーム会社では古くから遊ばれている無料FPSタイトルを運営することになり、公式大会を開催する仕事が与えられました。しかも同じタイミングでとある国内の有名なオーガナイザーさんといっしょにCSGO大会を作る機会にも巡り合います。既にCS1.6でコミュニティ大会運営をやっていた私は「いよいよ俺の考えた最強のe-sports大会を作ることが出来る!」と気合を入れて仕事と共にCSGO大会にも取り組みました。

しかし蓋を開けてみると自分が想像していたe-sportsの輝かしいイメージとはかなり違うものでした。

「使えるリソースが限られている」

大前提としてe-sportsと呼ばれているものは野球やサッカーのようなスポーツと違ってゲーム会社のプロモーションの1つでしかないということを知りました。こんな事を書くと「当たり前だろ」と言われるかもしれませんが、クズニートだった私には一切想像が出来ていませんでした。ゲーム会社がゲームを売るため、ブランディングするためにそのタイトルで大会を行うことがまず大前提にあるので、ゲームの売れ行きや会社の経営状況によって予算などのリソースが潤沢にあるものとそうでないものがあることをこの時初めて知りました。

例えば私が好きなCSGOは日本にデベロッパーもいなければパブリッシャーもいないので大会を開催するにはほぼ全て主催者の自費開催ということになります。つまり2015年当時国内でCSGO大会を開催していたオーガナイザーさんは多分ほとんど自費開催に近い形だったということです。(※デバイスメーカー主催などもあったけどこの話はまた別の機会に)

そういう現実が社会人になってだんだんと見えてくるようになり「勝手に自分の中でe-sportsって盛り上がってたけど世間から見たらまだまだ発展途上なんだ…」と感じるようになります。あわせてビジネスの世界というのはすごくシビアで現実的だというのを思い知ったのもこの時期になります。




■二度目の転機
2017年頃に私は一身上の都合により会社を辞めることになりましたが、運良く前の上司や同僚がいる今の会社に転職することが出来ました。当初はとあるMMOコンバットゲームの運営担当として入社するはずでしたが、私が入社したタイミングで丁度PUBGの国内サービスを開始するということになり、当時PUBGもプレイしていたということもあって急遽担当に抜擢されることになりました。しかし当時はゲーム大会をする予定もなく専ら国内でユーザー拡大をしていくというミッションのために粉骨砕身する日々でした。

そこでまたもや転機が訪れます。

ゲームのリリース作業(公式ページ作成とか翻訳作業とか)と平行して東京ゲームショウ2017でPUBGのステージをするために50台のPCとモニターのレンタル先を2週間弱で集めるという超絶ハードなミッションが終わった後、開発会社の担当者に「2週間後に韓国で大会があるから日本予選をやってほしい」と相談されます。

「出来らぁっ!」

前職時代に仕事で大会運営をやったりプライベートでCSGO大会をやったことがあった経験から予想しても2週間で選手を募集して予選試合を行うことは非常に難しいというのがわかっていたのですが、私はサラリーマンなので当時PUBGが大好きだった社長の鶴の一声で大会を開催することが決まります。それがあの「PUBG JAPAN CHAMPIONSHIP 2017 by DMM GAMES」です。

「え!!2週間後に大会予選を!?」


■想像を超える前代未聞の連続
大会をやると決めたら残り2週間で出来るところまで準備をしなければいけません。当時は韓国で開催される大会のルールに合わせてSOLOとSQUADに別れている変則マッチだった上に、同時に8サーバーで試合を進行するという今考えるとどうかしているとしか思えない大会ルールで開催することになります。その大会ルールも本来は開発会社から韓国大会で使用されるルールブックを提供される予定でしたが、彼らも初の大会開催ということで提供が遅れてしまい私が募集開始数日前に急いで用意したものになってしまいました。

そして予想通り事故に事故が重なります。

当時のPUBGはサーバーが不安定だったため今のように容易に復帰できないなど、お世辞にもe-sportsタイトルとしては非常に未熟なものでした。(※まだアーリーアクセス扱い)また非常にPCパワーを使うために同時に進行している8台のオブザーバー用PCと配信映像用PCなど多くのPCを稼働させるとハイスペックPCがフル稼働してしまい、電源が足りずシャットダウンしてしまう事故もありました。そんな中で付け焼き刃に付け焼き刃を重ねてなんとか試合をすすめても、当時は点数計算も複雑だった上に開発会社から提供された計算用のexcelが機能せず、徹夜で点数を計算しなおすというハプニングもありました。当然、そのような失態を繰り返す大会はネットで大炎上してしまい、私は社長に説明するために入社して約4ヶ月で顛末書を書くことになりました。


■また悪夢の繰り返しになるのか?
そんなときやっと炎上も収まってきた頃に私の元へある話が飛び込んできます。

「1年を通してリーグ大会やろう」

当時の社長はPUBGが大好きでe-sports大会の開催に興味があったこと、開発会社は大会を開催したいけど当時の日本支社にはまだ担当者が2名しかおらずリリースが足りていなかったこと(※私の会社側もPUBG担当は2名だったけど)で利害が一致して、今の会社でPUBGの日本公式大会を開催することになります。それが「PUBG JAPAN SERIES αリーグ」です。










さてここまでPUBG JAPAN SERIESが開催するまでの経緯を簡単に書きましたので次回は大会を準備して開催するまでにどんな事を考えていたかというのを書く予定です。

関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

▼Counter-Strike関係のブログ

最近更新されたCounter-Strike関係のブログ

▼最新記事
▼Twitter
▼スポンサードリンク
▼リンク
▼スポンサードリンク